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八溝方言の年代別使用の変遷

 1 はじめに

 日常的に方言の使用が少なくなりつつあることは感じていたが、数字で示すことによってその実態を明らかにすることが目的である。八溝地区での方言が世代別にどのように使用されているか、今後、方言がどのように変遷していくかの資料とするため、世代別の使用割合を調査した。広く方言が消えていくことが予想される中で、定点において言葉の年代別使用例の調査は他に例が少ない。今回の調査の結果を受けて、さらに10年後に調査することで、八溝の1地点の変容が、広く日本の方言の変容に敷衍されるものと思われる。

 

2 調査対象と調査期日

 過疎の進展により人口の減少から、旧大内村だけではサンプル確保が不可能と判断し、旧馬頭町(現那珂川町)東部の旧大内村と隣接する旧大山田村に広げて実施した。両地区は、那珂川支流の武茂川の文化圏で、ほぼ同じ生業が行われ、経済的にも同じ範囲内であり、方言についても差異がないと考えられる。

 調査地区が偏在しないよう地区内全般に及ぶようにした。①70歳以上 ②50歳から69歳まで ③30歳から49歳④29歳以下の各年代5人ずつ、世代ごとに5名を対象に依頼し、4地区合計で80人になるようにした。

  調査期日は令和3年9月から10月にかけて実施した。

3 調査方法

  地域に在住する那珂川町役場の課長等4人に依頼し、個別に調査用紙を配布して、回収率を上げることにした。

 9分野についてそれぞれ2語ずつ18語を対象に

 ①使ったことがある 

 ②使ったことはないが聞いたことがある 

 ③使ったことも聞いたこともない

 という3択とした。回答用紙に未記入の項目があり、分母に若干不揃いが生じた。対象人数が少なく、統計的な信頼度は低い。一方で、年代によってはっきりとした傾向が見られるので、今後、規模を拡大して調査することによって方言の変遷過程を知る端緒となることが期待できる。

 さらに、調査用紙に家族の構成で70代と同居しているかどうかを確認することで、「聞いたことがある」という回答率に差異が明確になると思われる。今後の課題である。

 

4 調査の内容    

 住生活や食生活から近隣との付き合い、さらには病気や感情など地域の身近な生活の中で使われていた言葉の中から、以下の分野で代表的な語を抽出し調査の対象にした。

 ①住生活 ―― 住環境の変化が言葉の変化への関連  2語

 ②食生活 ―― 生活の基盤である食生活の変化と言葉の関わり   2語

 ③生き物  ―― 日ごろ触れられる身近な生き物たちとの関わりと名称  2語

 ④組付き合い ―― 山間地で大切にされた人間関係の変化と言葉  2語

 ⑤病気 ―― 医療機関との距離があった地域での病気の言葉  2語

 ⑥感情 ――喜怒哀楽や叱責などの感情を表す言葉 4語

 ⑦敬語 ―― 敬語が少ないとされる地域で敬語の代表的なもの 2語

 ⑧食味 ―― 日常の食生活の中で親から子へ伝承される食味 2語

 ⑨遊具 ―― 時代とともに変わる遊具名 2語 

 

5 結果の概要と考察

(1) 住生活

①ちょうずば(手水場:便所)

  70歳以上は90%以上が「使った」か「聞いたことがる」としているが、40代以下になると以降は急激に少なくなり、「使ったことある」と回答したものはない。便所から手洗いとなり、最近ではトイレという言い方が圧倒的になり、不潔なイメージからの変化を求める傾向が強いことからて、他の言葉より世代間の使用頻度の差になっていると思われる。

 手水場も、元はと言えば「おんこば」や「くそんば」からの汚いイメージを避ける表現であった。

②せーふろ(据え風呂)

 70歳以上では「使ったことがある」と「聞いたことがある」はほぼ100%である。 昭和40年以降の住生活の変化とともに、五右衛門風呂やひょっとこ釜の木桶からタイルの貼られた文化風呂に変化した。その時代に合わせて名称も変わったと思われる。40代になると60%が「聞いたことがない」とし、20代以下ではほぼゼロである。

 現在は「お風呂」が完全に定着し、湯手拭いがバスタオルとていることから、間もなく「せーふろ」は消える言葉と思われる。

(2)食生活  

①いもぐし(芋串) 

 70代以上はいずれもほぼ全員使っていたことが分かる。畑作中心の八溝地区では芋が郷土食であり、正月の供物としてなくてはならないものであった。伝統色であることから、50代~60代、さらに40代~30代に掛けても「使ったことがない」人の減少が緩やかである。しかし、20代以下は全く使われていない。食生活は住生活より緩やかな変化と思われるが、今は正月も全国的な餅文化になって、芋文化が消滅していることがうかがわれる。

芋串を食べる習慣はなくなり、食生活とともに伝来の食べ物が消え、言葉も消えていくことになる。

②かんぷら(ジャガイモ)

 東北南部から茨城県、さらに栃木県中部より北で使われていた「かんぷら」は、70歳以上ではほぼ全員が「つかった」か「聞いたことがある」に対して、40歳以下では、「聞いたことがある」が「使ったことがない」としているものは100%である。ここ20年間に大きく変わったことがうかがえる。

 種芋の保存から作付け・収穫など地域で完結していたサイクルが、商品化された種芋を種苗店で購入し、言葉も標準語の「ジャガイモ」になったと思われる。農業に関する言葉の標準語化は、栽培法の統一化による高収益を挙げるために必要であり、他の作物においても同じ傾向が見られる。

(3)生き物

①げんざんぼ(とんぼ:特にオニヤンマ)

 70歳以上では90%が「使った」か「きいたことがある」としているが、次の世代 ではどちらも急激に下がり、40代以下はいずれも皆無である。

学校教育などで、身近 な生物の名前も標準語化していったと思われる。この他でも 「ほろすけ:フクロウ」や 「くちはび:マムシ」など生き物の方言が使われなくなった例は多い。

②ちんちめ(小鳥:雀に限定することも)

 70代ではほぼ全員が「使った」か「聞いたことがある」としていて、それ以降の世代も急激な減少はない。20代でも60%が「使っている」と「聞いたことがある」としていて、まだ多くの人に使われていることが分かる。減少が少なく残った方言になっているが、理由は明確でない。

(4)組付き合い 

①じゃーぼ(葬式)  

  「じゃーぼ」組付き合いのなかでも最も重要なものであるので、70歳代以上では90%近くが使っていた。60代以下では半分となり、40代以下では全く使われない。今は「葬式」となり、式場でやることから、組内の共同の作業から葬儀場での儀式となり、「じゃーぼ組」も必要なくなり、言葉も変化した。

 村落の変化の中でも冠婚葬祭が大きく変わり、旧来まで使われていて消滅したもの  が多い。

③おひまじ(祭礼など農業を休む日)

 共同体にとっては重要な行事で会ったが、過疎化とともに行事が維持出来なくなっていることが分かる。昭和30年代から40年以降の中山間地の急激な変化が読み取れる。40代以下では「聞いたこともない」ことから、この間に大きな社会変動が合ったと思われる。

 中山間地帯では一次産業が壊滅的となり、従来の農閑期の手間取りから二次産業や三次産業へ通年の就職により、地域よりも職場中心となり、村落中心の祭礼への関心も薄れ、今では「おごしん様(お庚申様)も全く行われなくなった。間もなく消える言葉である。

(5)病気

①やんめ(病み目:ものもらい) 

 70歳以上は90%が「使ったことがある」か「聞いたことがある」としているが、60歳以降急激に使用されなくなっている。衛生啓発活動の中で言葉が変化したのか、あるいは衛生状況の改善から「やんめ」そのものが減ってきたのかは不明である。

70歳以上で90%が使っていた言葉が半世紀で「聞いたことない」言葉になった。

②めなし(ひび割れ)

 50歳以上は90%が「使ったことがある」としている。さらに40から30代で も「聞いたことがある」が60%になっている。ところが、20代では急激に変化し、「聞いたことがない」が90%近くになっている。すでにスキンケアなど肌の手入れが徹底し、「めなし」が肌荒れなどに言い変わったと思われる。医薬品の普及や衛生に対する意識の変化の他に、冷たい水仕事などがなくなり、「めなし」や「あかぎれ」の原因となる環境の変化があると思われる。

(6)感情 

①ごじゃっぺ(いい加減) 

 20代でも90%が使っているか聞き知っていることがわかり、ほぼ現役の言葉と  言である。まだ次の世代まで残る言葉である。

 本原稿が「ごじゃっぺ辞典」の一部であり、八溝地区ではまだ認知され続けていくことが分かり安堵している。 

②いしけ(性格や物の質が悪い)

 70代ではほぼ90%以上が「使っている」としている。年代が下がるごとに使用率は下がるが、それでも30代以上は70%が「使っている」としているが、20代以下では「使わない」ことばとなり、徐々に消えていくと思われる。

③ずずね(術ないの転訛:不快であること)  

 雨に濡れて体が湿っぽくなると不快になり「ずずね」というのは、70代では普通に使っていた。40代以下では50%以下になり、20代では使われなくなっている。  

快適な生活の中で「ずずね」経験が少なくなったこととともに、「気持ち悪い」に置き 代わられるであろう。

④げーぶわりー(外聞が悪い)

  70代は70%近くが「使った」のに対して、60代以下は急激に減少し、40代以下は使うものがいない。小さな村落では「外聞」が大切で、時には身の丈を越えるお付き合いをすることも多かった。

村落の共同社会の連帯意識が減り、40代以下では「外聞」を気にすることがなくなったと思われる。地域社会の変動とともに消えた言葉である。 

 必要以上に外聞を気にするのは気詰まりであるが、全く他人の目を気にしないで奔放 に振る舞う社会は問題であろう。

(7)敬語

①なんしょ(なさい:尊敬語) 

 従来から八溝地域では敬語使用が少ないと指摘されていた。その中で「なんしょ」は 男女問わず広く使われていた。50代以上は70%が「使った」あるいは「聞いた」と している。ところが、40代以降になると「なんしょ」の使用が急激に少なくなり、20代では、ほぼ「使ったことがない」し「聞いたこともない」としている。

 「なんしょ」の代替として「なさい」という表現は聞くことがないので、「お座りな  んしょ」が「座っておごれ」となり、さらに無敬語化していることも考えられる。

②おごれ(おくれ:ください) 

 お店で買い物するときには「これおごれ」と言い、ものを頼むときにも「しとごれ」と言っていた。50代から60代でも「使った」と「聞いた」で90%近くになり、30代から40代までも75%が「使った」か「聞いている」としている。20歳代でも3分の1が「聞いたことがある」としているので、まだ当分は残る言葉である。

(8)食味

①こわっち(強い:かたい)    

 自動炊飯器が普及する前は竈でつば釜を使ってご飯を炊いていた。その時々の火加  減や水加減で一定した炊き上がりにならなかった。往々にして「こわっち」ご飯になった。50代以上は全員が「使った」か「聞いたことがある」としている。40代以下になると「使った」数が減り「聞いたことがある」の割合が上がり、「使ったことがない」割合も増加した。20代では「使った」はゼロになった。

 「硬い」という標準語と「こわっち」はニュアンスが違うが、ご飯の炊き上がりが一定してきているので「こわっち」という言葉が必要なくなったことも考えられる。

②いごって(あくが強く、えぐみがある) 

 「えぐい」が「いぐい」に転訛し、さらに「いごって」となった。70代では「使った」が80%であるが、60代から50代になると「使った」が約50%強となり、さらに40代以下になると急激に「使った」率が減少する。

自家製のコンニャクは時々アクがあり「いごって」ことがしばしばであり、 当たり前の食感であった。今は「いごって」の代替として「えぐい」聞かない。必要のない言葉となったのであろう。

(9)遊具

①ぎっこんばったん(シーソー)

 学校の基本的な遊具でありながら、オノマトペ(擬態・擬音)とも言える「ぎっこんばった」が使われていた。70代以上では100%が、30代以上でも80%が「使った」か「聞いている」とし、20代でも65%が「聞いている」としている。

学校の遊具の名前が「ぎっこんばったん」最近まで使われていたことが分かる。今はシーソーであるが、公園で見かけることが少なくなった。二人でも共同作業の「ぎっこんばったん」は好まれないのであろうか。

②どうらんぼ(ブランコ)   

 「どうらんぼ」の語源も「ぶらんこ」の語源も定かでない。「どうらんぼ」を使った割合は70代以上で50%、50代から40代に掛けて大きく下がり、40代~30代では「使った」ものはなく、わずかに「聞いたことがある」としている。20代では「聞いたことがない」が100%である。「ぎっこんばったん」よりも早くなくなった言葉である。

 なぜシーソーのように英語化しなかったのか。古い日本語の「ぶらんこ」が学校教育の中で定着したのであろう。

 

6 まとめ

 各種方言研究をみると、柳田国男以来の「カタツムリ」の分布を調査する伝統的な周圏論の延長のような方言分布の研究、一方で地域の音韻などの研究が多く、さらには語源に遡っての論じているものなど、細分化し専門化している。

一方で、方言を使う地域の経済的な仕組みの変化となどと関連づけながらの論じた研究は少ない。方言は言葉である以上使われている人たちの置かれた社会的状況を抜きには考えられない。

 社会の変動を受けやすい地方にあって、方言も大きく変わり、方言で意思疎通をする人たちが少なくなり、世代交代とともに方言が消滅することが統計からも推察される。今までも変わり続けてきた方言が、今日ほど大きな変動期を迎えたことはない。方言を年代ごとに比較できるのは今が最後の機会といって良い。

 同じ場所で、長期的な観点から方言の使用世代の変化を調査し記録することは、その背景の地域社会の変動を知ることでもある。過疎の進行している旧馬頭町の東端の2地区において、今後言葉がどのように変容するかという調査をするうえでの第一歩となれば幸いである。

 

7 終わりに

 本調査に当たっては、かつて那珂川町役場で職場を同じくした藤田悦男氏を通して、同じく同僚であった4人の方々に調査を依頼した。忙しい中で各戸を廻って調査用紙を配布し、回収していただき、ほぼ全員から回答を得ることが出来た。改めて感謝したい。

 今後、地域の言葉がどのように変容するか、後進の調査研究を期待し、まとめとする。

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