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地域を取り巻く様々な生活

把手の付いた木製の桶。金属のバケツが普及する前は手桶が普通であった。井戸から手桶に水を汲んで風呂や台所に運んだ。自分の腕力を考慮して水量を加減して、跳ねないように、腰を上下動しないで両手で運ぶのはコツが要った。

ておけ

手桶
冠婚葬祭と人々の繋がり

親方の下で下働きをする者をいう。土建業の現場監督は「てご」を使い、腕のいい大工も見習いのテコを使っていた。親方の意のままになる使用人の意味であった。修業をして「てこ」を使うことが出来る親方になる者もいたが、いつになっても自立するだけの技能と才覚に欠けて「てこ」のままの者もいた。

てご

手子
生活の基本 衣と食と住

標準語は「てっこう」。「てっこ」は農作業や山仕事にとって必需品である。手の甲を保護したり、袖が汚れたり痛んだりすることを予防し、安全でしかも作業効率を良くするために誰もが着用していた。手っ甲は夜なべ仕事での手作りで、嫁様は赤みがかかった色が付いたもので、若い人は色が付いたもの、年寄りは紺の地味な色であった。

てっこ

手っ甲
体の名称と病気やけが

持っていた物を突然手から外れてしまうこと。意識的に放すことには使わない。注意散漫な性格であったから、しばしば「手っ外れ」をした。今は意識していても、加齢とともに「手っ外れ」をすることが多くなった。

てっぱずれ

手っ外れ
体の名称と病気やけが

「手の平」が転訛したもの。「手っぺらで悪いげんと、おごごおわがんなんしょ(手の平で悪いけど、お新香お上がりなさい)」と客に勧める。足の裏を「足の平(ぺら)」と言った。平らなところは、体だけでなく地面でも、「どちっぺら(土地っ平)」は土間や庭のの平らな部分である。今のようにお皿に取り分けてくれなかったから、お新香ばかりでなく砂糖も煮豆も「てっぺら」でもらった。「てっぺら」が汚れてしまったが、手拭きを持っていなかったので服やズボンに擦り付けてしまった。

てっぺら

感情を表すことば

「てっぺん」は標準語で、山の頂上や身体の頭頂部のことででもある。最も優れているものを意味するようになったが、反対に「馬鹿もてっぺんきりだから」という時は、最低という意味で使われる。

てっぺんきり

天辺きり
冠婚葬祭と人々の繋がり

手を差しのべて良く面倒を見ること。「てな」は掌(たなごころ)が転訛したもの。飼っている馬も「手なご」して育てるが、野菜も支柱を立てたりして「手なご」する。ナスの生育が悪いと「良ぐ手なごしねがんだ(しないからだ)」と言われた。まだまだ中年以上では使われる言葉である。

てなご

手なご
生活の基本 衣と食と住

「てぬぐい」でなく「てのごい」と言った。今はタオルに代わったが、商店などの新年の引き物として使われた。安くて軽くて、しかも名入りであるから、企業などには打って付けである。昭和40年頃までは、まだタオルは一般的でなく、記念行事や新築祝いなども手拭いであった。風呂に入るにも手拭いであり、作業後の手ふきや顔吹きも手拭いであった。ハンカチを持つ習慣はなかったが、必要な時は、手拭いを半分に切って使った。今はお風呂もタオルだし湯上がりもタオルを使う。しかし、手拭いは非常時の包帯にもなり、三角巾の代替にもなる。登山帰りに入浴する時、手拭いで済ますのは私だけである。

てのごい

手拭い
子どもの世界と遊び

拍手をすること。方言でなく、広辞苑にも載っている。学校でも「お客さんを手叩きで迎えましょう」と言っていた。今は「拍手」でお迎えするので、「手叩き」は方言のように残っている。中年以上は「手叩き」で通じる。「手を叩きましょ」の童謡もある。

てばたき

手叩き
体の名称と病気やけが

大人たちは片方の鼻孔を押さえて、もう一方から勢いよく洟(はな)を吹き出す。大人たちは誰も上手であった。大人の真似をしてやると、飛散して自分に掛ることがあった。紙が貴重な時代には誰もがやっていたのであろう。我々の時代からは「ちり紙」が普及して、学校の持ち物検査で「ちり紙」と「手拭き」があったので、手鼻をマスターしないままになった。

てばな

手鼻
子どもの世界と遊び

手打ちうどんの「手打ち」でなく、「ぱーぶち」(めんこ)の際に、風を強く起こすために手で地面を強く叩くこと。かなり効果がある。手の指先は指紋がなくなるほどピカピカ光っていた。やる前に「てぶちなし」の約束をするが、ついついエキサイトして、手打ちぎりぎりのところまでやって、相手から非難される。

てぶち

手打ち
地域を取り巻く様々な生活

一般に、「手間」は時間や労力のことであり、手間がかかるとか手間暇掛けてなどと使う。八溝では、本業以外に「手間賃」を稼ぐことを言う。冬場の農閑期には工事現場などに出て手間取りをすることも多かった。ところが、30年代後半になると、本業の農林業が衰退し、年間を通して手間取りに行くようになり、今は手間取りでなく、勤め人になってしまった。

てまどり

手間取り
地域を取り巻く様々な生活

茶摘みの際に摘み残した芽を言う。多くの農家では自家製のお茶を作っていた。八十八夜の別れ霜も無事すぎ、新芽がほき(芽が大きくなる)て来れば新茶の摘み取りである。一番茶は柔らかく香りもいいので丁寧に摘み取られる。隣近所ともやいっこ(結い)をして摘み取り、せいろ(蒸籠・せいろう)で蒸かし、焙炉(ほいろ)で均等に熱が通るようにしながら揉んでいく。土間には一年に数度しか使わない焙炉があった。焙炉は茶葉を揉みながら乾燥させる1畳ほどの大きな土の炉で、隣近所からも摘み取った茶葉を持ってきて共同で作業をした。新茶は貴重であったので、一番茶を摘んだ後の摘み残しの「手むぐり」をもう一度摘み直すことになる。これも二番茶でなく新茶として扱った。今は茶摘みもされないお茶の木が伸び放題になり、初冬になるとサザンカと見間違うほど白い花が目立ってくる。

てむぐり

手潜り
感情を表すことば

はきはきと行動しないこと。意欲がなくだらだらしていると「何てれごんでんだ」と気合いを入れられる。中学校にいって部活動をしている時に、上級生から「てれごんじゃねよ」と叱られた。持続力のない性格であったから、すぐに「てれごんちゃった」。

てれごむ

子どもの世界と遊び

「わすら」は、もてあそぶこと。人の話もそこそこに、手で物をもてあそんでいると、「手わすらやめで、先生の話を聞きなさい」と注意を受ける。子どもの時から目の前の物に関心が移り、集中力に欠けていた。子ども園では、集団で「手遊び」をして開会を待ったりして、集中力を高めるが、どうも言葉の響きが「手わすら」と近似しているので、気持ちが引けてしまうことがある。

てわすら

子どもの世界と遊び

上を向いて人の話を聞かないで無視する様子。「いづもてんじょっつらして威張ってんだがら(いつも人を無視して威張ってんだから)」と、相手の人柄を非難する。

てんじょつら

天井面
子どもの世界と遊び

てまりの転訛。小学生時代の「てんまる」はボールのことで、伝統的な手鞠のことではない。ただゴムボールが手に入らなかったから、ボール投げの遊びは普及しなかった。やがて同じグランドで練習していた中学生の野球部が郡大会を勝ち抜き県大会に出場することになり、一気に野球熱が高まり、小学生も「球拾い」の手伝いをした。もう「てんまる」とは言わなくなった。狭いグラウンドを越えて煙草畑に飛び込んだ玉を拾うのが大変だった。

てんまる

手鞠
挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

体の変化したもので、接尾語として「人」のことを指す。複数でも単数でも使う。「あそこん(あそこの)てーは悪(わり)ごとばーしして(あそこの家の子は悪いことばかりして)」という。複数の時は等(ら)をつけ、「おらじ(我が家)てーらはテレビばーし(ばかり)見て少しも勉強しないだから」と孫全体を指していた。「若いていら」と世迷い言をするのはいつの時代も変わらない。

てー

農家を支える日々のなりわい

平のこと。地区では開けた畑地が広がる場所である。「平」が付く地名が全国にあるが、それだけ平地が少ないから、「平」は貴重であったからであろう。「てーら」にあった我が家の畑は耕作放棄地となり、茅場のようになっている。

てーら

たいら
感情を表すことば

「でれすけ」と同じ意味で使われる。「でご」だけでも使う。ぐずぐずして行動が鈍いひとを「でごすけ」という。思慮の足りない人にも言う。

でごすけ

感情を表すことば

長さや高さが一定していないことで、でこぼことほぼ同じ意味だが、でこぼこはやや直線的に凹凸があるが、「でごひご」が穏やか不均衡状態。さらに、不公平さにも使う。「でごひご無いように、みんなでよく分げろ」とお菓子をもらった時には、年長者が均等に分ける。

でごひ(へ)ご

子どもの世界と遊び

地面から離れるようにして、思い切り倒れること。自分で転ぶこともあるし、人に転ばされることもある。「じでんしゃ(自転車)乗ってででしながっちゃた」と言う時には、少しばかりの転倒でなく、思い切り転んだことになる。「すっ転がる」が語感として似ている。

でしながる

冠婚葬祭と人々の繋がり

県内ばかりでなく関東地方でも広く使われている。必要以上に顔を出したり、他人の会話に口を挟んだりする目立ちたがり屋をいう。狭い付き合いの中では人との関わりが難しいが、何かと口を挟んだりする「ですっぱぎ」は嫌われる。

ですっぱぎ

冠婚葬祭と人々の繋がり

一般に偶然に人と出遭うことに使い、「久しぶりだね」と言って人と「でっかせ」たことを喜ぶ。他に「話がでっかせた」と相手と意見が合うことにも使い、大工さんは「穴がぴったりでっかせた」とも言う。また「ちょうどでっかせた大きさのバケツがあるよ」と、要望に合致することにも使う。人間関係で気が合う「ことの「でっかせ」が何よりである。

でっかせる

出会す
冠婚葬祭と人々の繋がり

「でど」は出身地のことでる。山間の人たちは固定した人の間で生活しているので、相手の「でど」が分かって始めて親しい付き合いが出来るようになる。「嫁様のでどはどこだんべか」と言うときに、広く出身地としての地域を指すこともあるが、個人の家を指すこともある。「まけ」は「でど」と違って血筋のことで、「ちみち」ともいう。「でど」以上に人間関係で影響力をもつ。

でど:まけ

出所 族
冠婚葬祭と人々の繋がり

人の前に出ることで、でしゃばること。出張することではない。何事にも人の前で目立つことをしたがる人がいる。みんな横一線を良しとしている村落共同体では、面と向かっては言わないものの、出張る人は好まれない。いつでも「出張る」人がいるが、組織の中でバランスを取らないと嫌がられることになる。

でばる

出張る
体の名称と病気やけが

額(ひたい)が人よりも出ていること。身体の特徴でありながら、本人が気にしているにもかかわらず「でび」と悪口を言った。みんな坊主頭であったから、顔や頭の特徴がまともに露見していたので、「でび」だけでなく、後頭部が出ている人を「後ろでび」と言った。

でび

出額
感情を表すことば

形がゆがんでいることで、標準語の「いびつ」と同じ。「このメジロっ籠はでびつだ」と言えば、きちんと四角に組み立っていないことになる。授業で丸を書いても歪んでいると「でびつな円」になる。形が「でびつ」だけでなく、心まで歪んでいるのはさらに問題である。

でびず

感情を表すことば

標準語では「でほうらく」。八溝では「でほらく」となる。馬が囲いの埒(らち)を出て勝手気ままに振る舞うことを「放埒」(ほうらつ)といい、言いたい放題の意味になったという。また、別に「法楽」あるいは「放楽」を語源として、面白いことを口任せに言うこととも言われている。無駄口をたたえていると、「なにでほらく言ってんだ(なにつまらない出任せを言ってるんだ」と言われる。「でほらく」語(かだ)れる間柄が何よりである。

でほらく

出放埒
感情を表すことば

陀羅尼助(だらにすけ)が変化した語であると言う。陀羅尼助は薬草を煮詰めた作った胃腸薬で、奈良県の置き薬屋持ってきたものである。「だら」がなぜ「でれ」に変わり、さらには薬効どころか、反対にののしり言葉になったのであろうか。「何でおめ(お前)はそうだにでれすけなんだんべ(どうしてお前はそんなにばかなことをするんだろうか)」と言われた。頭が悪いだけでなく、規範意識の足りないことも指した。ただ、「でれすけ」はバカの意味に類似しているが、バカと言われるよりは救いがあるような語感を持っている。

でれすけ

農家を支える日々のなりわい

泥のこと。「道がぬかっていたので、ズボンにでろが着いちゃった」と言う。「どろどろ」になるのでなく、「でろでろ」になってしまうのである。遊びの空間でも「でろ」に接する機会が多く、ぬるぬるの感触を十分味わった。今の子どもたちは、田植えの時に田んぼに入ることにも抵抗感を持っている。

でろ

生活の基本 衣と食と住

「電気柱」の転。今は電柱と言うが、広くは「電信柱」と言われていたから「電信柱」が「でんきんばしら」になったことも考えられる。ただ、田舎の生活は電信とは無縁であったし、電気だけのものであったから、「電気柱」が妥当だろう。大正から昭和にかけて、電気の普及により八溝杉が広く使用され、特需の時代があったという。電柱に塗られていた防腐剤は新しい文化の臭いであった。今はすべてコン柱(コンクリート製の電柱」になり、八溝の杉は使われない。

でんきんばしら

電気柱
子どもの世界と遊び

「肩車」のことで、広く群馬県などでも使うという。子どもにとって、大人の肩の上から見る世界は格別である。特に不安定であることが程良い緊張感を伴い、いっそう心地よさを増す。「手車」より「天車」がふさわしいように思う。

でんぐるま

天車:手車
体の名称と病気やけが

「でんぐりがえる」ことで、転倒するという意味。「土手(どで)っこででんげちゃって、よぐよぐだ(土手でひっくり返って、ひどい目にあった)」と、単に転ぶことよりも、勢いよく転倒する場面で使う。「すっころんじゃった」という場合、手を付くくらいで済むが、「でんげる」は手を付く暇もないほどの転びようである。

でんげる

農家を支える日々のなりわい

投げ倒すこと。物を放り投げることは「かっぽる」とか「すっぽる」であって、「でんなげるは」相撲などで相手を勢いよくたおすこと。自動詞は「でんながる」で、自転車(じでんしゃ)で勢いよく転ぶと、「でんながっちゃった」という。

でんなげる

子どもの世界と遊び

お漏らしをすること。「むぐる」は「潜る」ではない。大小便を我慢できずに漏らすこと。「むぐる」に接頭語が付いたもので、どうしても我慢しきれずに漏らしてしまったことをいう。朝の排便が習慣化していなかったので、何度も「でんむぐって」しまった。これから加齢とともに「でんむぐる」ことを覚悟しなければならない。

でんむぐる

挨拶語 敬語 つなぐ言葉など

感嘆詞で、「へー」と驚くことである。「でー、そーがや(へー、そーなの)」という。普通に使っていたが、今は高齢者だけになってしまった。

でー

農家を支える日々のなりわい

地域の中で高台のこと。我が家の本宅は「上の台(うえんでー)である。「dai」は母音が続くので音韻が変化する。前が「めー」となったり、川端が「かーばた」になったりと、地形が屋号になっている家が多い。

でー

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