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子どもの世界と遊び

川の深み。小さな川でも飛び込みが出来るくらいの「ふかんぼ」があった。ヤスを持ってずんぶんくぐり(潜水)をして魚を狙った。子どもがヤスで突けるほどのんびりした魚はいなかったが、「ふかんぼ」は子どもたちの魅力の遊び場であった。

ふかんぼ

深んぼ
動物や植物との関わり

蕗の薹(とう)のこと。蕗の花の蕾(つぼみ)で、葉より先に芽を出す。まだ開ききらないものを摘んできて、味噌に砂糖を加えて炒める「ふきんじょ味噌」で温かい御飯を食うことは、春の訪れ感じる最高の味であった。薹が立っても茎の部分を煮て食べると、また格別な味がする。

ふきんじょ

冠婚葬祭と人々の繋がり

裕福で経済にゆとりがること。「福」が形容詞化したもの。「あそこんちはむがしっからふくしんだがら(あそこの家は昔から裕福なんだから)」という。反対語は貧乏の意味の「切ない」である。小さな地域社会でも「福しく」なったり、「切なく」なったりという盛衰の動きがあった。

ふくし(ー)

福し
生活の基本 衣と食と住

「炭酸饅頭」を作る時の、皮になる小麦の膨張剤で、今はベーキングパウダーと言っている。季節や祝祭日にかかわらず、「おまんじ」が作られた。時々十分攪拌されず、「ふくらしこ」が白いまま固まっていることがあった。ふくらし粉をどの程度の割合で混ぜたかは知らない。

ふくらしこ

膨らし粉
動物や植物との関わり

動物が発情すること。家には犬猫の他に馬、一時は山羊もいたのでそれぞれの更けることに出会うことがある。馬も落ち着きがなくなり、やたら乱暴になる。その内に博労が種馬を連れてやって来る。猫も2月の末の日が長くなる頃になると大きな声でオスを呼ぶ。いつもの自分の家の飼い猫とは思えない行動をとり、戸惑うことがあるが、生き物の営みを早くに知ることが出来た。

ふける

更ける
生活の基本 衣と食と住

畳や藁などが湿気って腐ること。空き家にしておくと風通しが悪くなり、日の当たらない裏座の畳がすっかり「蒸け」て波打っている。住む人もないので、「蒸ける」に任せるしかない。餅米が「蒸ける」と同じ語源であろう。

ふける

蒸ける
地域を取り巻く様々な生活

不成就日(ふじょうじゅにち)とも。婆ちゃんはいつもお寺からもらう暦をめくって、農事の善し悪しを決めていた。特に種まきは不塾日を外し、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)を選んだ。今でも「神宮暦」などが配られるが、詳しく調べることもない。農事のスケジュールより、会社の休みなどに合わせるから、「不熟日」も関係なくなった。

ふじゅくにち

不熟日
地域を取り巻く様々な生活

小麦を粉に挽いた際に残る屑。馬の餌として大事な栄養源であった。小麦を収穫すると、屋号が「くるま」という名前の水車に持って行って粉に碾(ひ)いてもらった。その時の小麦滓(かす)が麬(ふすま)である。茶色の小麦の皮に白い粉が混じった物で、切り藁に混ぜて与えた。栄養価の高い馬の餌として大切なものであった。かつては県境の峠には馬車を牽く馬のために「ふすま」を商う店があったという。

ふすま

地域を取り巻く様々な生活

潜ませる、あるいは横にするなどと語源は同じであろう。土の中に入れて、イモや根菜、球根類などを保存すること。さらには水道管なども地中に伏せることになる。土をかぶせて見えなくすることで、いずれも共通する。

ふせる

伏せる
農家を支える日々のなりわい

八溝地方では冬になると那須颪(おろし)に乗って雪が舞うことがる。「ふっかけが来た」という。1月から2月にかけては、「今日もふっかけが来た」といって寒さの厳しさを実感することが多かった。ふっかけが風で舞うばかりでなく、日陰などでは積雪となってしばらく消えないこともあった。2月も末になって木の葉さらいをしていると、南斜面はジジババ(春蘭)が咲いているのに、北斜面は凍てついて吹っ掛けが溜まっていることもあった。

ふっかけ

吹っ掛け
生活の基本 衣と食と住

火を着けて空気を吹きかけることか。「風呂ふったけろ」と言われれば、囲炉裏から燃えっちゃし(燃えさし)を火箸に挟んで風呂釜に運んで、燃えやすい杉の葉に焚きつける。薪に火が回るように調整し、時には「火吹き竹」で狙いを定めて空気を送り込む。「ふったける」は火ばかりでなく、けしかけることも言い、さらに「ふったかる」となれば、息ぶい(調子が上がる)ことで、「あそこんち(あそこの家)はシイタケ作ってふったかったよ」といえば、シイタケ栽培で家計が上昇したことになる。

ふったける

吹き焚ける
生活の基本 衣と食と住

「ふろしき」が転訛した。鞄(かばん)や便利な袋がない頃は、なんでも「ふるしき」に包んで持ち運びをした。時にやってくる行商さんも大きな「ふるしき」に行李を包んで背に背負って家々を回って歩いた。祝儀の際も引物と御馳走の残りは「ふるしき」に包んで帰った。当時は人絹の薄いものでなく、木綿で染め抜いたものであった。縛り方も種々あり、1升瓶も「ふるしき」に包んで届け物にした。最近は、もったいない運動で「ふるしき」が見直されている。

ふるしき

風呂敷
動物や植物との関わり

年を取ったニワトリのこと。卵をなさくなったニワトリは、順番にお祭りの時などのに「つぶし」てご馳走にする。鉈(なた)で頭を切り落として木にぶら下げて血を抜き、鍋で沸かした熱湯に入れた後で羽をむしる。ぼつぼつの鳥肌がはっきりしてくる。内臓には次に生む卵が準備されていた。肉はニンジンや牛蒡との煮染めやうどんの出汁に使われた。子どものころの体験が今も残り、鶏料理で鳥肌が見える部分は好きになれない。「古っ羽」はニワトリだけではない。学校の先生の中にも、年輩の女性の先生がいたが、「古っ羽」と言われていた。

ふるっぱ

古っ羽
子どもの世界と遊び

広辞苑には「気が狂う」とあり、同じような使い方もしたが、精神に変調を来したかのように、収まりが付かないように暴れることで、特に子どもに対して使った。ひどくわけも分からず大泣きしていると、「気でもふれだんか」と言われる。

ふれる

狂れる
子どもの世界と遊び

戦後の混乱期に、身寄りのない子を浮浪児と呼んでいたが、夜遅くまで遊んでいて帰りが遅いと、「浮浪児みでだ(みたいだ)」と叱られた。戦後の窮乏期でも、取り敢えず食べ物と住居があった山間の農村は恵まれたと言うべきであろう。他所の家でお呼ばれが出来る雰囲気があり、子どもたちの豊かな心を育んだ。今は地域に小学生が一人もいないから「浮浪児」もいない。

ふろーじ

浮浪児
生活の基本 衣と食と住0

囲炉裏の土間に近い木尻が開放されているものは、長靴や地下足袋のまま踏ん込み、「どだっぱいり」するためであった。わざわざ地下足袋や長靴を脱がなくても、農作業の身支度のまま囲炉裏に当たれるた。客をもてなすにもいちいち「お上がんなんしょ」と言わず、「お当たりなんしょ」と言えば気軽に「踏ん込んで」囲炉裏に当たることができた。ただ子どもが長く囲炉裏に当たっていると「いつまでもどだっぺいりしていないで」と急かされた。着物をはだけて脛を出したまま囲炉裏に当たっていたので肌が赤く斑になった。

ふんごみ

踏ん込み
地域を取り巻く様々な生活

ただ縛ることでなく、接頭語が付いた分、しっかりほどけないように縛り付けることを表現する。中でも米俵を縛るのはしっかりと「ふんじばら」ないと、供出出来ない。手と足を使って俵を回しながら絞り上げるようにして「ふんじば」った。間近で大人たちの見事な手足さばき方を見、さらに、60キロの俵を軽々と担ぎ上げて農協の倉庫に積み上げていく様子を見て、この土地で生活する者は誰もが大人になればこうして俵と付き合うのかと自覚した。今は半分の30キロの紙袋になり、「ふんじばる」必要がなくなった。

ふんじばる

踏ん縛る
体の名称と病気やけが

詰まることだが、特に便秘の際に使った。「なんだって、3日もふんづまっちゃったよ」と母ちゃんに訴える。「さづま(サツマ)食え」と便秘の対策を取ったが、その後も続いた。逆に思わぬ時に便意を催し、宿便が一気に出るから、途中で我慢が出来ないことがあった。子どもの頃から便秘症で、今も腹が張って苦労している。

ふんづまり

ふん詰まり
農家を支える日々のなりわい

人や物などを踏みつけること。集会などで「足ふんのぼられっちゃた」と喧嘩になることもある。丸太を切る時に、「動がねよに良ぐふん上っておげ(動かないようによく踏みつけておけ)」と、しっかり動かないように踏みつけておくことにも使った。

ふんのぼる

踏み上る
農家を支える日々のなりわい

「はだかる」は広辞苑にも載り、手足を広げて立つ、前を塞ぐようにして立つなどが記されている。八溝では、接頭語「ふん」が付き、力を入れて立つことの意味である。前を塞ぐという意味は含まれない。力を入れて物を持ち上げたりする時には、足を「ふんばだかる」必要がある。

ふんばだがる

踏みはだかる
農家を支える日々のなりわい

「ふん」は意味を強める接頭語。「むく」は「剥く」の漢字で、表面をはぎ取ること。屋根の麦わらが強風によってはぎ取られてしまったことがある。風が吹くと学校にいても落ち着かず、今でも風には異常に反応するようになってしまった。子どもの頃の「ふんむかれ」た記憶がトラウマになっている。換気口のひゅうという音を聞くだけで、過去が思い出される。

ふんむく

ふん剥く
子どもの世界と遊び

不器用なこと。手先の器用さが求められる図工の時間が嫌いであった。「ぶぎっちょ」であることよりも根気強さがないことの方に原因があったのである。もともと「ぶぎっちょ」だと思い込んで着実に努力をすることを怠っていたのであろう。

ぶぎっちょ

不器用
感情を表すことば

「たれ」は「馬鹿たれ」などと同じ蔑視の接尾語の働きを持つ。標準語の「無精」から「たれ」が付くことで、だらしない、不潔であるなどにも発展した。まめに片付けをしないで、散らかしておくと「無精ったれ」と注意を受けた。農地の少ない八溝では「無精ったれ」は一番避けられるべき言葉で、何事にも精を出すように育てられた。勤勉が家の存続に影響した。

ぶしょったれ

無精ったれ
子どもの世界と遊び

あれこれ不満を言うこと。不満があって黙っていられず、何かと言葉に出して、聞こえるかどうかの声でブツブツ言う。中学生になると少しのことでもイライラして「ぶすくさ」文句を言うことが多い。「ぶすくさゆってねで、ちゃんとゆったらがんべ(ぐだぐだ言ってないでちゃんと言ったら良いだろう)」と言われると、さらに不満が溜まる。

ぶすくさ

体の名称と病気やけが

不満があってふてくされること。態度や表情に不機嫌さが如実に出ている状態である。「いづまでそだにぶすくれてんだ(いつまでそんなに不機嫌にしているんだ)」とさらに輪を掛けて怒られる。「ぶすくれた」まま、晩飯も食わずに寝てしまったことがあった。

ぶすくれる

農家を支える日々のなりわい

どっかりと腰を下ろして座ること。正座の「おしゃんこら」はきちんと座っているから「ぶちかる」と言わない。おしゃんこらすると、「お楽(らぐ)にしとごれ(してください)」と言われる。隣の婆ちゃんが来ると、「ぶちかってお茶(おぢゃ)飲んどこれや」と、小縁(こえん:土間と座敷の間の幅の狭い縁側)に腰掛けてお茶のみをする。二人して若い人たちの讒訴(ざんぞ:かげぐち)を言う。

ぶちかる

生活の基本 衣と食と住

秋の大風で稲が倒伏すると、「みんなぶっくり返えっちゃった」という。ブンやブッが語頭に付けば意味が強まる。自然とともにあり、力仕事をする農村ではこの種の接頭語が付く言葉が多い。それだけ一つ一つの動作に力が必要であったし、一方で人知ではどうしようもない自然の猛威にもさらされることも多かった。「ぶっける」も、ただひっくり返るのでなく、強い外圧でひっくり返り、その結果が重大であることを暗示する言葉である。倒伏すればそれだけ余計に手間が掛り、ついつい「よめごと」(世迷い言)が出る。

ぶっくりげーる

農家を支える日々のなりわい

「ぶち込む」ことで、無理に入れたり、投げ入れること。悪さをすると「牢屋にぶっこまれつぉ」と脅された。魚を追い込むために、川に石をぶっ込むこともあった。大人たちには一番の問題は借金のことである。「今年ゃぶっこみになっちゃた」という会話があった。コンニャクの値が悪くて肥料代の元が取れずに、借金になってしまったことの世迷い言である。コンニャク仲買人に、言い値で買われれてしまうことも珍しくなかった。

ぶっこみ

打っ込み
冠婚葬祭と人々の繋がり

不足が生じると、無理に合わせることから、意味を強める接頭語が付いている。会計が合わなくて不足が生じると「一人500円ずつぶったしだ」と言って帳尻を合わせる。この言葉は今でも使われ、飲み会の後など予算オーバーになって「ぶったし」がある。

ぶったす

打っ足す
農家を支える日々のなりわい

標準語の、斜めに交差させるという意味ではない。上下や左右を1つずつ交互に入れ替えること。爺ちゃんと寝る時には、頭をそれぞれ反対向きにした。「ぶっちげー」で寝たのである。稲藁なども一掴みずつ株と穂先を「ぶっちがい」にして使い、均等になるようにして、苗床の乾燥を防いだ。

ぶっちげー

打ち違い
子どもの世界と遊び

手などを勢いよく打ち叩くこと。手ばかりでなく、人に圧力を掛けることにも言う。八溝の子どもたちは小学生の中学年になれば家にあった道具箱から、トンカチなどを取り出して、様々な物を作った。時々「ぶっちめ」て血豆を作った。物ばかりでなく、「生意気だからあの野郎(やろ)ぶっちめておぐが」と人へ強く圧力を与える時にも使った。実際は気が弱くて「ぶっちめる」ことは口先だけだった。

ぶっちめる

打ち締める
農家を支える日々のなりわい

打ち壊すという意味の「ちゃぶす」に接頭語「うち」が付いたもので、力を入れて壊すこと。「鳥めにやるかいこぶっちゃす(ニワトリにやる貝殻を潰す)」ため、石で細かく砕いて餌に混ぜて与えた。丈夫な殻の卵を産む。クルミの堅い殻を割るなど、日常の中で「ぶっちゃす」ことが多かった。

ぶっちゃす

打ち潰す
農家を支える日々のなりわい

破裂させるたり、裂くこと。「スイカ落としてぶっつぁいちゃった」とも言い、「風船膨らがせ過ぎてぶっつぁいちゃった」と使う。さらに、「ころんだはり(機会)に障子ぶっつぁいちゃった」と破くことにも使うが、いずれも勢いよく割れたり破れたりする時に使う。

ぶっつぁぐ

打ち裂く
農家を支える日々のなりわい

「とおす」に接頭語「ぶつ」が付いたもの。様々な場面で使ったが、靴底を「ぶっとーし」て篠の切り株での足裏を怪我したこと、合羽を「ぶっとーし」て冷たい雨がしみ込んでくる時などは特に辛かったからすぐに思い出せる。時間的に「ぶっとーし」やり続けるという時も使ったろうが、頑張ってやっていないので、印象に残っていない。

ぶっとーす

打ち通す
子どもの世界と遊び

「叩く(はたく)」に接頭語「ぶつ」が付いたもので、勢いよく叩くこと。「朝っぱらがら、父ちゃんにぶっぱだがれっちゃった(朝から、父ちゃんに思い切り叩かれちゃった)」と学校で友達が話していた。我が家では「ぶっぱたかれ」たことはなかったが、周囲では、「ぶっぱだく」のは特別なことでなく、子どもたちも、自分が悪い時には当然と受け止めていた。今は自分の子どもも「ぶっぱたく」ことが許されない時代になった。

ぶっぱたく

打ち叩く
生活の基本 衣と食と住

昭和30年代半ばになると、住宅の改善、中でも主婦の労働軽減と衛生を目的に台所と風呂場の改造が進められた。農協から配布される雑誌『家の光』を購読する家も増えてきて、生活改善についての意欲も高まり、「文化風呂」「文化包丁」「文化住宅」など、「文化」の名を冠したものが農家にも普及し出した。「文化」は生活が衛生的で便利になることの意味で使われ、「カルチュア」ではなかった。その中で、風呂の改善はポンプの導入とともに「文化」の先端であった。煙突が付いて、もう煙いことがなくなった。それだけに、風呂の改善は、嫁に来た若い主婦にとって宿願であったろう。我が家でもタイル張りの明るい文化風呂になった。

ぶんかぶろ

文化風呂
地域を取り巻く様々な生活

そっくりであること、よく似ていること。型にはめて同じものを作ることから、「そっくりそのまま」という意味になり、よく似ているという意味になったのだろう。「まさか親子だからぶんぬきだね(さすが親子だからそっくりだね)」と使う。若い世代では標準語の「そっくり」になったが、「ぶんぬき」の方が似ているう感じが出る。

ぶんぬき

ぶち抜き
農家を支える日々のなりわい

勢いよく水を抜いたり、穴を開けて突き抜いたりすること。ただ自動詞「ぶん抜ける」は、桶の底が抜けたり堤防や堰が崩壊したりすることになる。人間性に問題があって「ぶんぬけてる」となれば、甚だしく劣っていることになる。反対に「つんぬける」は優れていることである。

ぶんぬく(ぶんぬげる)

打ち抜く
地域を取り巻く様々な生活

勢いよくばらまくこと。広辞苑には「撒く」に「ばらまく」こととの意味が載っている。接頭語「ぶん」を付けることで、力を込めてばらまくことである。「バケツの雑巾水をぶんまけろ」と言われれば、庭先に勢いばかりでなく、広がるように投げ捨てる。接頭語の「ぶん」は、農作業など力仕事をする八溝の人たちにとって必須の言葉である。

ぶんまける

感情を表すことば

たいそう気を悪くする、立腹の甚だしいこと。「むくれる」は立腹することだが、接頭語「ぶん」を付けることで、程度の甚だしいことを言う。少々のことでは機嫌が直らない。直ぐに「ぶんむくれる」る質(たち)であったから、家族も厄介であったろう。

ぶんむぐれる

子どもの世界と遊び

小鳥が寒さや体力がなくなって、体の羽が膨らんで動かなくなること。小鳥ばかりでなく、子どもたちも寒さのため「ぶーぶぐれで」じっとしていると、「ぶーぶぐれでねでうごいだらよがんべ(じっとしてないでうごいたらいいだろう)」と体を動かすよう催促される。「つーげる」ともいう。山間の八溝の、「鳥め」たちと一緒に生活する人たちの言葉である。

ぶーぶげる

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