生活の基本 衣と食と住
「さし」は途中で止めることを言い、「燃えっちゃし」は「燃えさし」が転訛したもの。特に途中まで燃えて火が消えた薪などをいう。意識して灰の中に入れて「もえっちゃし」にすることもある。半世紀前までは、囲炉裏や風呂釜、竃(かまど)で薪で火を焚いていた。風呂釜では、太い薪と細い薪を上手に組み合わせ、空気の調整をして、家の中に煙が充満しないようにした。火の燃やし方はキャンプ講習会で習った人などとはキャリアが違う。
もえっちゃし
燃えさし
生活の基本 衣と食と住
難しい漢字を当てるが、もともとは戦の時に敵を防ぐ柵をのことであった。そこから垣根の意味になり、生け垣を「生もがり」と言った。川沿いの山里は「唐箕(とうみ)のケツ」と言われ、那須連山から北西風が撚(よ)れるようにして川下から吹き込んでくる。どこの屋敷にも北側に風除けの竹や杉などの「生けもがり」が植えられていた。さらに藁で風除けを作った。それでも立て付けが悪いうえ、煙出しがあったから、冷たい風とともに木の葉も舞い込んできた。1月から2月に掛けては、風が竹などに当たる時の「もがり笛」の高い音を聞きながら、冷たい布団の中で、体温の拡散を防ぐため丸くなって眠気が差すのを待った。春が待ち遠し季節であった。
もがり
虎杖
農家を支える日々のなりわい
「もぎる」は標準語である。柿は、単につまんで取るのでなく、ひねりを加える。劇場のチケットもねじ切るようにするので「もぎる」という。晩秋の蜂屋柿「もぎり」は青い空にダイダイ色に染まった柿を、竹の先の溝に差し込んで落とさないよう、しかも縄に下げるだけの果柄(実と枝を繋ぐもの)を付けて丁寧に「もぎる」。首が痛くなるほど天井面(てんじょっつら)しなくてはならないが、季節を肌で感じられるのは山里に育ったものの特権である。「もぎった」蜂屋柿は皮を剥いて縄に挟み、軒の下に下げた。干し柿の多さはその家のステータスでもあった。
もぎる

生活の基本 衣と食と住
「もくたれ」とも。「もくた」は「芥(あくた)もくた」などと使い、ゴミを指す。「もく」がゴミそのものを指し、「たれ」は馬鹿たれなどの蔑視を意味する語か。八溝では「もくたれ」と言えば、粗末な仕事着のことを言った。汚れているうえに、継ぎ当てがしてあって、見た目の良くないものであったからである。特に女性のもんぺのことだと聞いた。
もくたり
動物や植物との関わり
モグラのこと。畑が盛り上がるから、「もぐらもち」になったのであろう。今はモグラを見る機会が無くなったが、子どもの頃はモグラが多かった。それだけ、餌のミミズが多くいたと言うことであろう。有機農法などと言わず、それしか出来なかったのである。農家にはモグラ取りの金網の籠があり、入るとバネで蓋が落ちる仕組みになっていた。地上の「もぐらもち」は何と情けない格好で、元気を無くしていた。
もぐらもち
冠婚葬祭と人々の繋がり
「むこ」でなく「もこ」で、衆の漢字が使われているが、複数ではなく、親しみを込めた呼称である。さらに敬意を表して「もごさま」とも言っていた。家系を絶やさないため「婿入り」の農家が多くあったが、男の子が誕生すれば婿様の用は済んだも同然で、後は働くだけで、種馬と同じであった。気遣いが出来ない家付き娘と一緒になった「もごし」は家でも外でも心が安まらない。祭礼の直会(なおらい)の席で日ごろの鬱憤が爆発して、暴れるのも仕方ないことだった。血縁中心の地域社会では、一家の戸主となっても、死ぬまで「もごし」扱いであった。
もごし
婿衆
感情を表すことば
広辞苑には「もさ」は「猛者」でなく、田舎ものの蔑称で、気が利かないものの意味とある。また「こく」は卑しみの言葉とある。「何もさこいてんだ(どうしてもたもたしてるんだ)」としばしば使われた言葉である。ただ、同じ年頃に比べて、いつも先読みして周りの人の気を察知し、敏捷に行動していたから、「もさこく」とは言われなかった。
もさこく
農家を支える日々のなりわい
紙などを揉んでぐしゃぐしゃにすること。もじゃもじゃの擬態語と語源は共通している。便所紙は新聞紙を「もじゃぐって」柔らかくして使った。糸がこんがらかってほどけなくなった状態は「もじゃくれる」と言い、語源は同じであろうか。
もじゃくる
感情を表すことば
「むじゃっぺなし」とも言う。前後を考えず無造作に行動すること。丁寧さに欠け、後先を考えないから、自分の問題で済むことは良いが、他人にも迷惑を掛けることになる。学校での工作などはきちんと出来たことはなかったし、人に怪我をさせたこともある。すべて「むじゃっぺない」性格から来ている。子どもの頃からの行動は「習い性となり」、今でも「もじゃっぺなし」は変わらず、人に迷惑の掛けることが多い。
もじゃっぺなし
地域を取り巻く様々な生活
「もじる」は、ねじることで、古典にも出てくる。広く綯(な)うとも言い、「縄綯い」という言葉がある。農家では「もじる」といえば「縄もじり」である。藁縄(わらなわ)は農村の生活になくてはならないもので、俵、菰(こも)、筵(むしろ)などすべて縄がなくては出来ない。どこの農家でも夜割り(夜なべ)には縄もじりをした。選(すぐ)った藁を数本ずつ手のひらで回すようにし、「もじり」ながら尻の下を通して伸ばしていく。一晩のどれほどの縄がもじれたのであろうか。やがて、足踏みの「縄もじり器械」が導入され、手で「縄もじり」をしないでも済むようになった。
もじる
捩る
農家を支える日々のなりわい
盛り切りの音便で、広辞苑には「器に盛っただけで追加のないこと」とある。御飯も「もっきりいっぱい(盛り切り一杯)」と言えば、お代わり無しである。ただ酒の場合は、「父ちゃん今日はもっきり一杯だよ」と、母ちゃんに言われても、父ちゃんは決まって「もう一杯」という。「もっきり」が盛り切りで、これで終わりという意味から、器いっぱいに注ぎ、目一杯という意味になり、結果として量が増加した。父ちゃんには都合の良い変化である。
もっきり
もりきり
生活の基本 衣と食と住
越中ふんどしと違って、前垂れがなく、前後とも紐が通っていて横で縛るもので、土砂を運 ぶ畚(もっこ)に似ていたことからの命名。越中ふんどしに比べて安定感もあり、ずれが少なく、農作業などにも適していた。親の世代まではふんどしであったが、我々の世代は白いパンツであった。白のパンツはそのまま運動会のランニングパンツにもなった。
もっこふんどし
体の名称と病気やけが
「物の怪病み」の転訛。原因不明の気病み。今の心身症などの類だが、原因が分からないので物の怪の仕業と考え、「物の怪病み」となった。病気でなくとも、必要以上に心配性のことも「もっけやみ」の中に入る。「そだにもっこやみしなくてもいいよ(そんなに心配しなくてもいいよ)」という軽い意味でも使う。
もっこやみ
物怪病み
生活の基本 衣と食と住
キッコーマンやヤマサを買って使うようになったのは昭和30年代後半であろう。流通基盤が不十分で、液体である醤油の遠距離輸送は困難であった。そのため、どの町にも造り酒屋と醤油醸造所があって、量り売りをしていた。それでも農家では失費を抑えるために味噌も醤油も自家製のものを使っていた。各戸に味噌倉があって、樽が何本か並んでいた。味噌は凶作でも困らないように3年もののひね味噌を順に使った。味噌樽と並んで醤油を作る樽があって「もと」が入っていて、上澄みを必要なだけお椀に汲んで使った。やがて、キッコウマンの瓶の醤油差しが出回り、家庭での定番になった。一方で、家庭で作る独自の味噌や醤油もなくなり、全国一律の味になってしまった。
もと
酛
冠婚葬祭と人々の繋がり
本家筋、あるいは物事の起源を指す。「水漏れがあるから堀のもどっくろ止めろ」といって物事の源の意味にも使う。八溝の山間での「もどっくろ」で一番意識するのは本家筋のことである。自分の家がどの「もどっくろ」の分かされかは、小さな村落では織り込み済みで、そのうえで親疎の関わりが生まれる。今は過疎化が進み、葬儀の時だけ顔を合わせる「じゃーぼ親戚」になってしまって、「もどっくろ」も「分かされ」も意識しなくなった。
もどっくろ
元っくろ
体の名称と病気やけが
麦粒腫のこと。標準語である。家の中で火を燃やしていたからいつも煙が充満し、目が充血して結膜炎になった。不潔にしていたから「ものもらいも」もしばしばであった。婆ちゃんが黄楊(つげ)の櫛の背の部分を畳みに擦り付け、摩擦熱で熱くして患部に当ててくれた。果たして効いたのだろうか。
ものもらい
地域を取り巻く様々な生活
製茶で生茶を揉んだり、肩を揉んだり、祭りで御輿を揉んだりと様々使うが、竹の「節を揉む」ことにも使う。竿として使用するためには、枝を払い、節の部分の出っ張りをきれいにしなくてはならない。鉈(なた)を使って「揉む」作業である。竹を手の平で持って、回転することから「揉む」ことに繋がったのだろうか。竹は生活の隅々に至るまで活用されていたから、「揉む」という作業も欠かせなかった。
もむ
揉む
体の名称と病気やけが
太もものこと。「ももたぶ」の転訛。股ぐらは股間のことで、「ももった」はそれよりも下部分を指す。子どもの遊びは自然が相手であったから、体中に擦り傷を作った。木登りをして「ももった」をすりむくこともしばしばだった。
ももった
股った
生活の基本 衣と食と住
作業用の股引で、下着ではない。紺色の木綿地で作られ、作業がしやすいように細身になっていた。ズボンが普及する前には農作業で普通に履いた。女の人も股引であったが、その後、上衣の「山襦袢」の裾を入れるために太めに作ってあった「もんぺ」が普及した。さらに、ズボンとシャッツが普及してきて、20年代末には作業着としての股引は急激に消滅した。今は祭礼の時に着用されるが、村の鎮守の祭りは御輿が軽トラに乗って巡幸するので、股引を履くこともなくなった。
ももひき
股引
冠婚葬祭と人々の繋がり
「もやい」は広辞苑に「寄り合って共同で事をすること」とある。農作業や屋普請(やぶしん:屋根の葺き替え)などでは、手間を等価で貸し借りをし、共同作業をすることが多い。成文化されてはいないが、特に田植え時期は水利の関係で、順繰りと水上から田植えをしていく。効率を良くしていくための共同での作業が必要であった。「もやいっこ」である。今は水路が整備され、田植えも収穫も機械化され、「 もやいっこ」が必要なくなった。それに伴って共同体の繋がりも薄れ、祭祀催行さえ難しくなっている。港で船がお互い繋がり合う「もやう」も同じ語源であろう。
もやいっこ
催合い
感情を表すことば
たくさんの数が次々と湧き出す、あるいは集まること。「もれもれ」という語感の中に一通りでない ことが窺える。「蝿めがもれもれ集まる」こともあるし、湧き水が勢いよく地下から出てくるのも「もれもれ水が出てくる」と言った。今は使わない言葉になった。
もれもれ
地域を取り巻く様々な生活
中国伝来の作物であることからの命名であろう。トウモロコシとは違う。粟などとと雑穀の一つで、米が不足していた戦後しばらくは栽培されていた。日照りに強いことから傾斜地でも耕作可能であった。穂刈であったので、藁で縛って軒下の竹竿にぶら下げて乾燥し、天気の良い日に、さい突き棒で叩いて脱穀した。石臼でひいて粉にして団子にしたが、美味しいものではなかった。婆ちゃんが農業から引退してからは作られなくなった。
もろこし
唐土
生活の基本 衣と食と住
モロコシを収穫した後の茎を束ねて自家製の箒を作っていた。もろこしの穂には油分があったので、座敷の畳みが光ってきれいになった。その後、もろこしを作ることが無くなり、鹿沼辺りから、箒を肩に掛けて行商が回って来た。自家製の丸く束ねたものと違って、きれいな糸で平たく編んだ箒が座敷の柱に提げられた。
もろこしぼうき