37 婆ちゃんの茶飲み話
畑作地帯の八溝の農業は手間の掛かる集約的な煙草耕作が中心でしたから、婆ちゃんたちも重要な担い手でした。冬場の農閑期には囲炉裏っ縁(ぷち)に座って婆ちゃん同士がお茶のみ話をしていました。長男であったことから、婆ちゃんと長い時間を共有しました。
『もぢより』 「持ち寄り」のことです。集落全体でなく、何軒かの気の合う婆ちゃんたちが集まりました。「こんだは もぢよりにすっぺ(今度は食べ物を持ち寄りにしよう)」と言うことになり、煮物やおごご(お新香)を各自が用意します。集会所がない頃でしたので、宿になる家の負担をなくし、気軽に集まるための知恵です。
『つけぎ』 付け木のことで、マッチが出回る前は、経木のように薄い板の先に硫黄が付いている付け木に火を着け、別の場所に火を移動しました。ただ、付け木はもったいないので、ほとんど使わず、杉の葉で移すのが普通でした。物を借りたときに返却する際、「少しばかりの付け木で」と言って、なにがしかの返礼品を添えます。実際は付け木ではありませんでしたし、山村のように囲炉裏がある地域では付け木は不要でした。その内の大きな箱マッチが出回り、付け木は姿を消しましたが、挨拶語言葉としては最近まで残っていました。
『からってんぼ』 空手棒のことで、手に何も持たずに訪問するときに「からってんぼでわりね(手ぶらで悪いね)」と言います。当初から持って行く予定はありませんが、挨拶語としてつかわれました。
『あてげーぶち』 宛行扶持のことで、もともと領主などが部下の意向を聞かずに一方的に扶持米(ふちまい)を与えることです。八溝では、自分の都合で決めて謝礼を渡したりする時に使いました。「あてがえーぶちで悪いげんと(宛行扶持でわるいけれど)」とお礼をしていました。
『お念仏』 組内13軒で維持しているお堂で大数珠を回す「お堂念仏」があり、参加するのは婆ちゃんでしたが、子どもであれば男の子も参加できました。御詠歌は全く分かりませんでしたが、声明(しょうみょう)の「おーなーぼーきゃー」は暗記しました。お堂には共有の祝儀や不祝儀の人寄せに使う膳や椀もあり、身近な存在でした。年寄りが引退して次の世代に引き継がれず、お念仏が行われなくなって久しくなり、お堂は朽ちる寸前です。
『ぶっこみ』 婆ちゃんんから嫁様に家事全般を渡すことを「杓文字渡(しゃもじわた)し」と言いますが、それまでは家計全般を管理するのは婆ちゃんです。中でもコンニャクの栽培や管理は婆ちゃんの仕事でした。コンニャクは多肥料作物でしたので肥料代も掛りました。高値で売れないと肥料代の元が取れず「ぶっこみ」になります。「打ち込み」の転訛で、赤字になることです。
『おはり』お針のことで、縫い物です。明治生まれの婆ちゃんの仕事は冬もたくさんあります。綿を栽培し、種取器で種を取って、孫の綿入れ半纏を縫ってくれました。運針を良くするため髪の間を通して油を付けます。婆ちゃんは老眼だったため、針めど(あな)が通しは孫の仕事でした。