top of page

16 難しい農業用語

那須地区に農学校がなかった戦前、県境を越えた大子農学校で学んだ叔父が同居していたので、当時としては新しい農業用語を聞き知る機会がありました。その他にも、周囲の人たちが使っていた農業と関わる難しい言葉を覚えました。
『ばっかんちゅうこう』 漢字は「麦間中耕」です。倒伏を防ぎ、除草を目的に麦の株に土寄せをすることを言います。田の少ない八溝地域では麦は主食でしたので、田に比べて畑作は雑草との闘いを強いられました。鍬を使っての中耕でしたから体力と根気が必要でした。腰の曲がった年寄りが多かったのも重労働せいと思われます。今は麦作りをしなくなり、麦わらにも事欠きます。なお、ストロベリーは麦わらのストローが由来の名前です。
『ぶんけつ』 「分蘖」で、正しくは「ぶんげつ」と読みます。苗が生長するに伴い株が増えていくことです。今でも稲作などの専門用語として使われ、分蘖することを見越して苗の数を少なくして植えます。米作りは用語も多様で、「催芽」や「幼穗(ようすい)」、「残桿(ざんかん)」などは他の職業の人には見当が付きません。用語をわざわざ難解にしたのは農政を権威付けしたからで、今も同じです。それでも教育が徹底していたので全国隅々まで理解されました。
『とうあつ』 漢字は「踏圧」で、麦踏みのことです。徒長を防ぎ、分蘖(ぶんけつ)を促進し、収量を上げるために欠かせない作業です。子どもも重要な担い手で、北風が吹く時期に綿入れ半纏(はんてん)を着て、横に一歩ずつ押しつけるようにして歩きました。ただ、遊びたいばかりに、手抜きならぬ足抜きの「踏圧」になってしまいました。
『きょうしつ』 八溝では拗音を発音せず、手術を「しりつ」と言うのと同じく「供出」を「きょうしつ」と言っていました。戦中戦後の食糧事情悪化に伴い、農家に割り当てて強制的に米麦などを買い上げる「供出」制度が出来て、小学生の頃まで残っていました。その結果農家も厳しい食糧状況に曝されました。その後米の増産により米余りとなり、「供出」制度が無くなりました。ただ、農協などに売り渡す際に、今でも「供出」という言葉を使う人がいます。農業は国の根幹であることから、奈良時代以来、公地公民の名の下に重税を掛けられて、時々の国政に翻弄され続けてきました。
『きゃっか』 子ども心にも恐ろしい言葉でした。八溝地域では狭い畑地で安定した収入を得るため、専売制のタバコ耕作が中心となりました。家族総出で半年間の努力した結果が秋の「納付」です。夜鍋を手伝った子どもたちもお土産を心待ちにしていました。しかし乾燥が不十分などで収納してもらえず「却下」されることがあります。収入に直接響くのは勿論、不名誉でもありました。「却下」は生産者よりも国の機関が優位であった時代の言葉で、今は農業用語としては使われなくなりましたが、鮮明に覚えている言葉です。

bottom of page